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「教科書に載る仕事」を追いかけた先に 〜鹿児島から世界へ届ける新たなATL治療〜
No.013

「教科書に載る仕事」を追いかけた先に 〜鹿児島から世界へ届ける新たなATL治療〜

鹿児島大学病院石塚 賢治 病院長



鹿児島に多い血液のがん「成人T細胞白血病・リンパ腫(ATL)」。2025年、この病気に苦しむ患者さんに対する新たな標準治療が確立されました。そのけん引役となったのが鹿児島大学の石塚病院長です。

研修医時代に目の当たりにした厳しい現実、アメリカ留学での衝撃、そして40年近くかけてたどり着いた「教科書に載る仕事」。
その道のりを伺いました。

 

先生がATLの研究を始めたきっかけを教えてください。

成人T細胞白血病・リンパ腫(ATL)は、HTLV-1の感染が原因で起こる血液のがんです。

私が医師になったのは1988年、血液内科で研修を始めたのが翌年で、その頃は、病棟に入院していた血液内科の患者さんの3分の1くらいがATLでした。しかし治療法はまだ確立されていなくて、ほとんどの方が半年くらいで亡くなっていく。なすすべがないような時代でした。

目の前に多くの患者さんがいるのに、何もしてあげられない。しかもATLは、世界的に見ても鹿児島に多い病気なんです。
なので「これは何とかしなければいけない。少しでも患者さんを救える治療をつくりたい」という思いを当時から抱いていたんですね。

もう一つ印象に残っているのが、1995年くらいかな、鹿児島大学にいた頃、当時の教授に「どんな仕事がしたいか」と聞かれたんです。私も若かったので「教科書に載る仕事がしたいです」って答えたんですよ(笑)。すると教授から「そう思うんだったら、寝るときもトイレに行くときも、その研究のことをずっと考えておけ!」と言われて。
その言葉が、今でも自分のモチベーションになっています。

 

治療法を自分で開発しようと決意した転機はありますか?

大きかったのは、2003年から滞在したアメリカでの経験です。
ボストンにあるハーバード大学の関連施設で研究していたのですが、とにかく研究開発のスピードが違いました。研究成果が次々と薬の開発へつながっていく。その光景に驚きました。

ATLの治療開発についても、日本より患者さんが少ないアメリカやヨーロッパの方が研究が進んでいたんです。
当時の私は福岡大学にいましたが、その状況をとても悔しく感じていました。それで、「自分でこの病気の治療に挑戦しよう」と決意したんです。

2008年ぐらいになると、日本でも新しい薬の開発が始まったのですが、臨床試験や臨床研究を主導していたのは、鹿児島の研究者ではなかったんですよ。
鹿児島にこれだけ患者さんがいるのに、なぜ鹿児島から新しい治療を発信できないのか。

福岡大学では私にいろんな挑戦を許してもらい、最初に亜ヒ酸を使った臨床試験に取り組みました。ただ、当時は医師が研究成果を薬の実用化へつなげる仕組みが十分に整っていなくて、その先に進むことはできなかったんですよ。
その後、医師が主導して治験ができる環境が整い、それを機にふたつの医師主導治験を行いました。また「モガムリズマブCHOP療法」の臨床研究に取り組めるようになりました。

 

その「モガムリズマブCHOP療法」とはどんなものなのですか?

2012年に「モガムリズマブ」という新しい薬がATLの治療薬として承認されたんです。
それまで、比較的若いATLの患者さんには、他人の骨髄などの細胞を移植する「同種造血幹細胞移植」が治癒が期待できる標準治療として確立されていました。

しかし、高齢の患者さんの多くは体力的な負担もあり、移植を行うことはできません。ATL患者の高齢化が進む一方で、移植を受けられない方に対する標準治療は、長く定まっていませんでした。
そこで、この新しい薬と、以前から行われてきた「CHOP療法」を組み合わせれば、よりよい結果が得られるのではないかと考えたんです。

当時一緒に研究をしていた仲間たちと何度も議論を重ねました。そして、AMED(国立研究開発法人日本医療研究開発機構)から研究費を確保でき、移植の適応とならない高齢患者さんを対象とした臨床試験を国内21施設で実施したんです。私は研究代表者として全体のマネジメントを担いました。

その治療成績は、私たちの予想を上回るものでした。
患者さんの年齢が上がるほど抗がん薬の副作用も出やすいので、本来なら治療成績は下がるはずなんです。
でも、1年後も病状が悪化していない人の割合は、比較対象とした過去のCHOP-14療法での比較的若年の患者さんが16%だったのに対して、今回の高齢患者さんは36%。病変が消えて病気が治ったような状況になる「完全奏効」に至った方の割合も25%から64%に、2倍以上に伸びました。生存期間の中央値も、1年に満たなかったのが1年半を超えるところまで向上したんです。

今では、この治療が国内の多くの医療機関で高齢のATL患者さんに対する標準治療として用いられています。さらに、アメリカのNCCNガイドラインという診療指針にもこの治療法が掲載されたんですよ。これは本当にうれしかったですね。

 

「教科書に載る仕事」が実現したわけですね。

40年近くかかりましたけどね(笑)。
ようやく、その教授との約束を果たせたなという感じです。

 

ここまで順調に聞こえますが、苦しい時期もありましたか?

この研究の途中、AMEDからの研究費が切られてしまったことがあって。あれは正直、目の前が真っ暗になりました。
でも、「ここでやめてどうする」と思って。何が起きても動じずに、次の対応を考える。それが、研究を続ける中で私が大切にしてきた姿勢です。
途中で諦めていたら、この治療も世に出ていませんでしたから。

 

ATLやHTLV-1について、一般の方に知ってほしいことはありますか?

まず、HTLV-1に感染しているからといって、必ずATLを発症するわけではないということです。
生涯で発症するのは、感染者100人のうち3~5人ほどです。
感染を知って、ひどく落ち込む方もいらっしゃいますが、必要以上に恐れないでほしいと思います。

感染経路は母乳と性交渉なんですけど、特に母乳が重要で、鹿児島では全国に先に懸けて1990年代から地道に産婦人科や小児科の先生方が感染者に断乳を指導してきたので、若い世代の感染者は急速に減ってきています。

感染が分かった母親が母乳を与えない選択をすると、「なぜ母乳をあげないの」「母乳で育てた方がいい」と言われることもあるそうですが、母乳を与えたくても与えられない人もいます。
事情を知らずに他人の選択へ踏み込まないことも、多様性を尊重することじゃないかな。
病気やウイルスについて正しく知ると同時に、さまざまな事情を抱える人への想像力も持ってほしいと思います。

 

先生が患者さんと向き合う上で、特に大切にしていることはありますか?

寄り添うことです。治療しても十分な効果を得られないこともありますが、それでも、患者さんにもご家族にも治療の選択を納得してもらいたいと、ずっと思っています。
私が医師になった頃は、がんの告知自体がほとんどなかったけれど、今は違います。
本当のことを話して、しっかり対話しながら治療方針を決めていく。それを大事にしたいですね。

 

今後、この研究をどう発展させていきたいですか?

今回の成果は、少数の患者を対象にした「第Ⅱ相試験」によるものです。患者数が限られるATLで、より大規模な比較試験を行うのは簡単ではありません。
それでも、さらに臨床試験を重ねて確かな根拠を示し続けていく必要があると思っています。それがサイエンスの基本ですよね。

そうしたエビデンスを日本から出していかなければならない。ここから先は、次の世代に託したいと思います。

 

その他に、鹿児島で学ぶ若い世代へ伝えたいことはありますか?

足元にある課題を、世界に通用する研究へ育ててほしいですね。
地域の課題を解決することは、その地域の人たちのためになりますし、そこで得られた成果を世界へ発信できれば、同じ課題を抱える多くの人にも届けられます。

私は鹿児島で生まれ、鹿児島大学で学び、ATLの患者さんが多い地域で医師としての仕事を始めました。
この土地で医療に携わったからこそ、ATLという課題に出会い、研究を続けることができた。そう考えると、私は幸運だったと思います。

目の前に患者さんがいることは、研究者にとって大きな意味があります。
医学に限らず、鹿児島にしかないものや、鹿児島に多い課題に興味を持てるなら、それを研究する価値は大きいでしょう。

ただし、鹿児島の中だけで完結させる必要はないんです。足元をしっかり固めながら、わからないことがあれば日本中、世界中の専門家に相談する。
そうやって、身近な題材を世界に通用する研究に育てていってほしい。
実際、私たちの研究も海外の研究者たちと今もつながっていて、それも含めてすごく楽しい仕事なんですよ。

ATLに対する新たな標準治療を確立したとして、2025年6月に共同研究者とともに記者発表を行いました。